All or Nothing
初めてこの作品を観た。イギリスらしいなぁっていう登場人物がたくさん。ぼくの思うイギリス映画のステレオタイプというやつです。
でもなんだろう、なんだか可笑しなところもあるし憎めないキャラクターばかり。つまらないキャラクターに仕上げていないところが素晴らしい。みんな何方かと言えば愛らしいキャラクターに仕上げてくれている。群像劇の中でもとてもわかりやすいまとまりかたがされているので観やすい。
団地住まいの低所得層生活感すごい雰囲気良く伝わってくる。
Grace
退廃的な空間の中に、とある父と娘の流浪の旅
16mmフィルムで撮影された粒子感が自分好みである。グレースのそばかすがとても可愛らしく写って、その写すロシアの光景も閉塞感が感じてしまうが、どこか自由さがある。そのそれは親子の関係性なのか?特別強く主張するとなく諦めとも抵抗とも違う潔いシンプルさ。ロシアって大きなユーラシア大陸の中で一番広大な土地、さまざまな風景があるはずなのに全然イメージが湧かない。これという特徴がないのだろうか?いやいやそんなことはない。素晴らしい建築物、田舎に行けば原風景が感じられるいい場所がたくさんある。行ったことはないがそんな感じがしてならない。
この親子には特別な強い結びつきが感じられて親子の危うさなどは微塵も感じられなかった。愛の塊と表現するべきなのか。ただ、グレースは思春期の女の子一人鳥籠から飛び立ち目の前に見えていた(籠を抜け出した)景色に触れても見たいだろう。さまざまな背景を抱えるロシアのバックグラウンドを背負いながら親子は南から北へとあてどなく進むのだ。生きるために。
英語コーチング始めました。
学生を卒業して以来の勉強を今更のいま9月から始めてみました。
英語の勉強は好きだったんです。中学の授業のテストはよかったんです。でもそれだけで終わったんです。当時は中学卒業したらハリウッドで勝負するぞ!!なんていうように意気込みながら好きでもない勉強をやっていました。
でも今、海外案件ばかりを受け続けて、これから先も通訳を介しながらこの海外映像作品のロケーション部を担う立場の自分は。。。このままでいいのか?と自分に改めて問うた。対等に海外クルーと話すこともできず伝えて欲しいニュアンスとは違う内容で訳されて結果自分の意思とは違う方向に行く。通訳の正確性ももちろん大事なのだが、やはり自分の想いをのっけた仕事をしていくにはこのオフィース・トゥールにとって英語は必須だと思った。
いまだに日本映画・ドラマ業界含め、海外案件のロケーションを担うロケーション部がほぼ皆無なのだ。制作部、演出部が絶滅危惧種と言われる現代映像業界にただでさえ仕事ができなくても仕事が回ってくる時代。
英語が喋れなくとも海外案件のロケーション部は務まるのだが、もうその状況からは抜け出したいと強く思いました。
自分のプランを監督に直接伝えたい。
英語コーチング始めました。
来年の今頃には。
Chime
黒沢清監督の「Chime」鑑賞。
弊社マネジメント物件の作品のため鑑賞。作品の色味が自分の好みで、内容自体もとても引き込まれる雰囲気でした。ただ、もう少し先が見たい気がしました。余韻に浸りたい分数としては短く感じてしまったんだろうなぁ。その点で45分は見やすい尺なんだろうけど60分欲しかったなぁ。カットも無駄な余白はあまり感じられず自身の好みの余韻なのか心地いいフレーミング、アングルだった。
主演の吉岡睦雄さんがとてもいい。何がいいって声がいい。骨格と声のバランスが合っていない。お芝居の感じが丁々発止という表現が似合うようなお芝居をする。この役には相当合っているなぁ。とても世界観の出ている作品。
と思いきや、渡辺いっけいさん。ここもなんだか特殊なキャスティング。変わらない演技のいっけいさん。結局一周回ってこのくらいがいいのだろう。
はい、大好きなテイストです。
BLEEDING LOVE
ユアンマクレガーの演技にピンと来たことはない。とはいえ、そこまでとりたてて観たくなる俳優ではなかったのだ。
でもなんでだろうか、この映画は実娘との共演という話題性もあるのだけれどなんか気になった。この手の話はついつい観てしまう。
自分にはとてもわかりやすい映画だと思った。100%親子の愛、いつまでも変わることがない二人の絆を描いていた。ところどころで夢の中のようなシーンが出てきて娘の心情の揺れであったり、父親の心情がとても痛く伝わるシーンが散りばめられている。しらける感じでもなく、ぐいぐい見入るということでもなくなにか心地のいい淡々とした流れが伝わってきた。
なんでこんなに自然な演技になるんだろうって思うと、実際の親子というのはプラスになるのだろうか?赤の他人の方がぶつけやすい気もするのだが見事に昇華した映画になっている。所々のシーンに二人の苦い部分が投影されたり、楽しい場面が映し出されるのだけれど、どうであろうと娘はいつも父を信頼しているし、父は娘を片時も忘れず大好きが溢れている。
再生の映画でもないし赦しの映画でもない。ただただ親子のラブストーリーだ。
MASS
演技達者な4人が集まった。ほぼほぼワンシチュエーションものと定義付けていいだろう。
冒頭のなんだか間の抜けた(牧師の世話係とのやりとりの)教会職員とのやりとりと対照的に後半部分(と言いながら90分くらいは終始会話劇、動きなし)呼吸するのも行き詰まるくらいのどんよりした雰囲気。どのくらい役作りに時間をかけたんだろうってくらいにのめり込んでいる演技でした。6年経た段階で会ってこうゆう感情、雰囲気なのか。そんなものはわからないけれど、気持ちにお互い落とし所を見つけようと対話している感じがリアリティがあって見入ってしまう。
加害者側の夫リチャードは良い設定だった。仕事をバリバリやるデキる男のような見た目で、一見して嫌な雰囲気も漂わしているけれど被害者側の詰問に苛立たせ感情を露わにする感じが好き。「俺だって頑張っていたんだ。妻だって何にも悪くない。そう責めるな。償いは受けてきたつもりだ」みたいな。
対立は避けられない関係性だけれど、最後には赦すという段階をしっかり描いている具合が好き。
それぞれの性格が細かく描写されていて感情移入ができました。その世界に入れた。
つ。
久しぶりの日本映画。佐賀の自然をジンジン感じれるほど佐賀満載。ありがとうYu監督。
この映画は何か完全体じゃなくてまだまだ子供で完璧になりたいけどなりきれなくて、そもそも劣等感の塊だし、自分がどうしたらその目標の自分になれるかなんてわかんなくてどうしようもなくもがいている何かが溢れんばかりの映画だ。映画は何章かに分かれていてガラッと章ごとにトーンが変わる。青春映画であったりバイオレンス映画だったりドキュメンタリーだったりファンタジーだったり。最初につくる映画の気負いよりはいい感じの調子の脱力感が自分を心地いい夢見心地に誘ってくれた。そんななかでも青春の瑞々しさを描くことの難しさが同時に出たのかなとも思った。
俳優経験がほぼない方々で撮影していると聞いて、リハーサルを8ヶ月重ねたと言うのを聞いてYu監督の本気度と執念を感じた。
New York Old Apartment
アメリカにおける移民数(不法移民は約1,150万人)は世界の中で見て圧倒的に多く難民数や定住受付数も相当だという。
主人公は相当な苦労をしてアメリカにやってきただろうペルー人の優しさあふれる母と双子の兄弟の3人だ。この3人が自国を逃れてまで描いた夢を容易には想像できない。物語の要所要所には二人の青年の青春が散らばっている、何気なく。透明人間ていうセリフも好きだけれど、この物語においては見落としがちな一つ一つのことに関わってくる青年二人の心の叫びなんだろうな。演技経験は
そんな慎ましく暮らしていた三人の生活にいろんな変化が至極自然に大人しく訪れる。こうゆうことは突然だがいつでも起こることだと思った。この三人のバランスが良く作用するのかどうかなんていうのはまるっきり想像はできない。ただ言えるのはこの今を三人が輝かしく生きたいということだけなのであろう。それしか望まない。
この3人のまわりでは同じような境遇の人々が自然に生活していて、皆一生懸命日々を生き抜いている。人生とはサバイバルなのだ。
監督は自身の移民体験の経験から得た感情や体験の産物がこの作品を作るきっかけになったと語っている。
監督のコメントに好きな言葉があった。
「希望はわたしたちを無防備で愚かにし、私たちの最大の欠陥になり得ると同時に人間の最大の美徳の一つでもある」
希望の表裏を描きつつ、アメリカンドリームの疑問を描いた作品であると。
FALLEN LEAVES
自分として、いつもその映画の気になった部分をググるくせがある。
今回はフィンランドの恋愛事情というのをぐぐってみた。フィンランド人男性:自己中心的、マイペース、空気が読めない、ミステリー、優しいけれど掴みどころがない、ファッションセンスがない、内向的、シャイ。。。はい。とてもこのストーリーから読み解けるためそういった部分は楽しく観れます。
フィンランド人女性:シャイ、パーソナルスペースがとにかく広い、自分の世界観がある、自己主張がない、時間をきちんと守る、結婚後も働く、離婚を躊躇わない、贅沢はしない、賢そう。
異文化を体験するには旅が一番いいと思うけれども、映画って手っ取り早く異文化を知れるので本当に面白い。
アキ・カウリスマキ作品を初めて観た。あ、こうゆう作品を作る人なのねという感じで。なんだか、なんというか、まぁ一定層のファンがつくだろうなというところで面白い。実に滑稽だよねという感じで。愛を込めて馬鹿馬鹿しい。とても。
登場人物が実に間抜け、なんかバカ丸出しな感じ。ふざけすぎている。フィンランドという国を変に勘繰ってしまう。え?どうゆう人たちの集まり?的な。フィンランドといえばムーミンなのに(勝手なイメージムーミンはクリーンなイメージ)その空気感が全くなくまさに真逆。
ちなみに隣のカップルの女子。おそらく映画好きの彼氏に連れてこられたんでしょう。最初から彼氏にもたれかかり鑑賞。いや〜そりゃすぐ寝ちゃうでしょ?と思ったらすぐに寝ていた。笑思った通りになったから面白い。アキ・カウリスマキ監督作品を見る体制(ある意味?)バッチリだな。なんかハマっちゃいました。
面白いかと言われたら映画好き?コアな人にはハマる。マーベル好き、ただのアクション付きがバカとは言わないけれど、わかりやすい作品が好きな人には眠くなるのであろう。というかあざといシーン、セリフが何気に多いのだよなぁ。。。
こうゆう感じかぁアキ・カウリスマキ。結果過去作品も観ようと思います。
FIRST COW
淡々と物語が進行していく映画でうっかりすると重要な部分を(気を失う)見逃しそうなくらいスローな映画。
ネタバレになるが冒頭の白骨化したいがエンドクレジット後にそういえばこのラスト。。と繋がることに苦笑する。何も気にしなければ気付きすらしない繊細な描写が多い。メッセージ性がないと言われたらないことはない。そうだスルメみたいな映画だな。名作とはいえないがこの場面を、このカットをもう一度観たくなるような味わい深い作品。つまるところ玄人映画ということであろう。
ロケーション部の観点からするとハコモノが少ない映画で探すのが楽そうに見えてやはり屋外ロケーションを探す方が難解なのだよな。
形がない物を想像していくのにその形がない物を創造して一本の映画にするのだから。
ある意味コメディー要素もあるこの映画で友情も描いたハートウォーミングな感動シーンもあり、ファンタジー的なカットもある本作品
やはりスルメ映画である。
Cloves & Carnations
鑑賞後にパンフレットを読んだり記事を見たくなる映画。映画は自分の解釈で感銘を受けるものなので。
物語はとても静か。動きがだいぶない映画。アクション好きには耐えられないような映画だろうな。
上映中ある意味職業柄なのか、時計を見る癖がありこの件まできて60分かぁ(103分の映画)と思った。ほぼ半分以上を亡くなった妻の棺を故国へ運ぶおじいちゃんと孫の歩いているか、親切心で二人を車に乗せる運転者との交流の場面。
イスラム教には人間が真実の生を生きるのは死後の世界であると考えられているとのことで死者と生者の区別はなくむしろこの映画で描いている現世は夢の中の世界のようだ。まさに主人公二人が歩く道程は現世と来世を結ぶ道なのであろう。その道を歩きたどり着いたその場所は。。
AS BESTAS
AS BESTASとは野獣。邦題はそれでいて理想郷。これはなかなか面白い。淡々と観続けてしまうと正直なにも面白くない作品だと感じるはずだ。大方その見方が正しいのであろう。と決めつけるのも良くないのだが決して瞬きはしてはならない。
まるきりその常識を覆されてしまう138分だ。あまり見たことがない2部制。前篇は片方から見れば開拓者と先住民。後篇といえば図式は同じで変わらないが物語全体の図式のバランスが変化していて、ここからラストにどう繋げていくのだろうという途中経過としてはある種意味不明の展開に感じるであろう。この作品がフランスとスペインの合作ということでその国民性も垣間見えるようなシーンが多く観られるので話の筋とは違うところの視点で見るとこれまた面白い気がする。
伏線的なものが多いのだけど、基本淡々と進んでいくのでドラマティックさには欠けるのだけど、本当に見終わった後色々考え出すと答えが見えない映画になっていた。
SICK OF MYSELF
新宿武蔵野館 16:25分の回
自己愛性パーソナリティ障害を患う厨二病
少しばかりの愛情を持って接することが出来るのかなぁと観進めてみたならば、、それはちと間違いかもしれない。
計画的な完全犯罪を行ったにもかかわらず名探偵コナンにはお見通しなんだよなぁというオーディエンス映画。
彼女の欲求を満たすものはなんなのか。過去に感じたなにかとても悲しかったという感情の事象に見合う劣等感が彼女のエネルギーであり前へ進む意味を与えてくれるカンフル剤なのかもしれない。
注目される方法はいくらでもあるが、自分の体をいじめ抜いて得る快感はいかほどのものなのか。
Ballad of a White Cow
不条理さが溢れている。どのように自分の感情をコントロールしたらいいのだろうと主人公の心情を痛く想像してしまう。
自分の愛する夫が冤罪とわかり、「死人を生き返らせることはできない。これも神の思し召しだ」という説明?説得で納得しろという。言われてしまう。
思し召しを調べると、人智を超えた運命・定め・天命だという。とても呑み込むことのできない説明だ。人の日々の生き死自体も整理がつくものではないのに間違いで愛する人を合法として扱った死刑(殺人)でいのちを奪うのだ。
絶対的な宗教の教えに則って全てを合理的に解釈し、律することはある一定というものに照らして良しとし、ある一定の見解で悪いと見做される。至極不安定で不均衡なものだ。平等にということもなんの解決ともならない合理的な解決の一つとされてしまう。
つまるところなにかの拠り所を求めながら人はかけがえない一瞬一瞬を積み重ねて均衡を保っていくのだろう。
情けないがそのような感想だ。
FASHION REIMAGINED
エイミーは異端者などではない。ラブストーリーを紡ぐAuthorなのだ。彼女の幼少時代を回顧する場面では思いもかけず涙してしまう。
個が少数という考えというよりも大衆に揉まれていることこそがまぎれている個であるのかもしれない。
彼女の旅路に容易さはなく苦難の連続。求められるものを作り出すのではなく愛する気持ちを引き出すのだ。これはまさにラブストーリーである。
The Killing of Kenneth Chamberlain
アメリカは自由の国だと物心ついた時から耳慣れた言葉だった。しかし、海外に興味を抱いた時から色々な情報に触れ(英語がまともに理解できるようならもっと深く理解できるのであろう)不自由な国なのかなと解釈は変わった。
日本は曖昧さが良いとされるがアメリカでは自分のアイデンティティを強く発信しないと生きていけないようだ。命懸けだ。そこに人種差別ときたらどうしたら良いのであろう。正とされる権力を得てしまえば、結末がよかれ、悪かれ、自分たちの気分が落ち着くまでは老若男女関係なく右向け右をしなければ納得しないのであろう。生易しく誰かに「してはいけない教育・訓練」が厳しいのだろうな。
主人公というかこの映画の被害者は何もしていない、見た目で最初に黒人だからとなにかフィルターを通してもみられていない。ただ家で寝ていて何か身体にあった時の通報サービスが作動してしまっただけだというのに。昔、警察となにか嫌な過去があったのだろう。直接顔を合わせてやり取りすることを拒んでいるのだからそれほど嫌な過去だったということであろう。息子から、娘からの電話、姪が心配になり駆けつけても自分のファミリーには何かあってはいけないと自分で納めようとする。でも、それが悲劇に繋がるとはなんて恐ろしいことだ。何が自由の国なんだろう。下調べもなしにただの安否確認からムカついたという理由でどんどんエスカレート。警察に屈服しないから懲らしめてやるという意識が強い。とても強い。なぜアメリカは大きく変えられないのか。
熊は、いない
この世界には色々な都合が溢れている。
都合、事情、慣習、習わし、教育、しきたり、風習、規則、規則、条例、条約、政令、法律
どんなものでもその時代に即して自由な物であるべきなのだと思うが、その自由にもいくつかの溝は生まれるのだ。
溝がなければそのままの溝にいつもの水が流れ、それが大きな水流となる。その溝の筋を変えたければ新たに溝を掘り道筋を変える必要がある。不自由さが時として皆の自由になるが一人の自由かというと違ったりもする。
日本にも自由もあり、不自由もある。だが度合いを超えて自分を表現する自由があるのに表現をしない自由もありそれを選んだりと。
そんなイランへの興味は日に日に増してならない。