熊は、いない

この世界には色々な都合が溢れている。

都合、事情、慣習、習わし、教育、しきたり、風習、規則、規則、条例、条約、政令、法律

どんなものでもその時代に即して自由な物であるべきなのだと思うが、その自由にもいくつかの溝は生まれるのだ。

溝がなければそのままの溝にいつもの水が流れ、それが大きな水流となる。その溝の筋を変えたければ新たに溝を掘り道筋を変える必要がある。不自由さが時として皆の自由になるが一人の自由かというと違ったりもする。

日本にも自由もあり、不自由もある。だが度合いを超えて自分を表現する自由があるのに表現をしない自由もありそれを選んだりと。

そんなイランへの興味は日に日に増してならない。

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